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主人ごあいさつ

 近又では調理場をはじめ、社員の皆さんがしっかりと働いてくれています。
 会社とは言え、近又のように家業としての意識を持ち仕事をしておりますと、個人個人の仕事に対する考え方が充実してくることが良く分かります。
 競争心と協調性を持ち続け、お客様に喜んでいただけるよう、すべてにおもてなしの心を大切にし、今後も社員一同心がけていきたいと思います。
 八代目となる息子も東京での4年、ニューヨークでの4年と8年にわたり京都を離れての生活を終え戻ってまいりました。外から見た京都の素晴らしさを十二分に感じ、早速、積極的にお客様への「目に見えるおもてなし」、「目に見えないおもてなし」について考え出しております。慌てず、今後の近又継続のために活躍してもらいたいものです。
 料理長として研鑚を積んでおります山口敏生も、しっかりと近又の料理を習得し、日々努力を重ね、料理に対する豊富は知識を持ち、お客様に伝統の日本料理を提供できるようになりました。
 また、私も食育を通してこれからの若い人たちに食事の大切さ、楽しさを考えてもらい、そこから家族や友との絆を深めてもらう活動を続けたいと思っております。

七代目 又八 鵜飼 治二

 

・近又七代目又八 総料理長

・(社) 京のふるさと産品協会認定 京野菜マイスター

・同志社女子大学 生活科学部食物栄養科学科調理科学研究室 嘱託講師

・ベターホーム協会料理教室講師

・大和学園栄養医療専門学校嘱託講師

   

女将ごあいさつ

桜・山吹・紫陽花・向日葵・撫子・桔梗・椿・
・・・・・・水仙・・・・
移り行く季節の中で・・・、
いつも変わりなく
お待ちしております。

女将 鵜飼 真澄

 

   

専務ごあいさつ

 法政大学工学部を卒業後、海外にて4年間生活を送りました。京都を離れた8年ほどの間、この古都が他の都道府県や世界の人々にとってどんな存在であるのか、身を持って体験してきました。昨今の海外からの旅行者の方の増加に伴い、自分の培った経験や能力をいかに生かすことが出来るかを日々考えています。
 近又は、200年以上時代とともに少しずつ変化しながらも、その姿を頑なに守り続けてきました。国内外問わず様々な方に、この古くから残る京町家のありのままの姿と、先代から受け継がれる素材の旨味を最大限に引き出す京懐石ならではの味わいを、後世に伝え続けられればと思っています。

八代目 又八 鵜飼 英幸

 

   

近又の料理

 私どもは本当にお客さまに恵まれております。

 それはどういうことかと言うとお客様が「とにかく旬のおいしいものを食べさせてくれ」とおっしゃるからです。このことは料理人にとって本当にありがたいお言葉です。

 毎日同じ献立で料理をお作りするのではなく、その日の最高に美味しいものを業者の方から情報を集め仕入れる。また経験に基づき産地や重さに注意を払い仕入れる。

 これこそまさに本当の料理作りです。作り手にとってこんな満足感はございません。

 又、大量調理はできません。一日の限度を決めております。

 若いころ、それは寒い冬の季節。私はある方に板前割烹の店へ連れていただきました。あの時の感動はいまだに忘れられません。年の頃なら60代の料理人が何も知らなかった私にいろんな話をしていただき、その話の中で私がその日何が食べたいかを聞きだし即座に冷蔵庫からとても美しいピンク色した甘鯛を出してこられ「飯蒸し」と「焼き物」を作ってくれました。美味しかった、こんな美味しいものがあるんだと思いました。次にまな板にふぐの白子を置き、何の処理もせず串を打ち炭火であぶり美しいきつね色に焦がしたものを小口に切り、熱々を出してくれたのです。旨〜い、旨〜い。

 いまだにあの美味しさは忘れられません。

 実はふぐの白子の味噌漬けだったのです。生れてはじめていただきました。

 そして〆は聖護院蕪の田楽、ふり柚子をして香りをほのかに付け、ホクホクの一品。

赤だしと白いご飯。満足すぎてデザートなんかいらないって感じだったのを覚えております。

 そんな料理を私はまさに近又で提供しております。ぜひ予約して来てください。料理の本質を求め、「とにかく旬のおいしいものを食べさせてくれ」「今日はこれが食べたいんだ」とおっしゃってください。何とかご希望に沿うよう仕入れておきます。

 日本料理は素晴らしい料理だと思います。だし作りに注意を払い、美味しい、香りのいいだしをとり、素材の持ち味を生かし、ほんの少しの調味料で味付ける。そして調理する。

 日本料理の知恵は、今後世界に、今まで以上に注目を集めることでしょう。誇りを持って日本料理を作りたいと思っております。

 
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「和食の無形文化財登録」についての私の見解

和食が無形文化財遺産に登録されたこと大変うれしく思います。
私は和食の世界に生まれたことを誇りに思っております。
和食というと京料理、懐石料理、晴れの日のお料理を思い浮かべる方も多いと思いますが、無形文化遺産に登録された真意は、昔から日本全国各地で食され、受け継がれてきた、普段の料理とその文化性が認められたことだと考えます。
狩猟民族である欧米の民族は肉の脂から旨みを発見し、農耕民族である日本人は仏教の影響もあり、精進料理が生まれ、海のもの、山のものから旨みを発見した民族です。
この旨みは、深みのある高度なものです。だからこそ和食の「だし」、つまり、昆布、かつお、いりこ、貝、椎茸などからとった「だし」の旨みを知ることを失うことは大きな国の損失です。
私たちはもともと身近な自然の恵みをいただき、その旨みを味わい、調理していただくことにより、周りの自然環境、地域の人々、そして、家族への感謝の気持ちが自然と養われてきました。そうして皆が感謝の思いから自然や社会の環境を守ってきたし、守られてきたのです。しかし、近年日本人の食のスタイルが変化し、自給率の低下、つまり自分で作ることが徐々に少なくなってきました。それによって食を通じて自然への感謝や人との絆を意識することも少なくなってきたように思うのです。
この度の和食の無形文化遺産登録を機に日本人自身がこのことに気付き、普段の食卓に和食を少しでも取り入れてほしいと願います。

昨年は4つの大きな話題がございました。
和食の無形文化遺産登録とともに、富士山の世界遺産登録。東京オリンピック招致。メニュー偽装表示。そして、おもてなし。

日本の象徴「富士山」いつまでもあの美しい姿でいてほしいものです。

メニュー偽装  情けない。人間悪いことに慣れてはいけない。
伊勢海老をロブスターと偽り。車海老をブラックタイガーでまかなう。挙句の果てにお肉までくっつけて和食店が売る。
先日、警察の方がおっしゃっていました。メニュー偽装は飲酒運転と同じだと。
1杯酒飲んで運転して家に帰る。次は2杯、次は3杯、全然大丈夫と思って4杯飲んで帰る、それで電信柱にドカーン! 悪いことに慣れたらいかんということですね。
和食の文化遺産登録と東京オリンピック招致。これから和食は増々世界に広がります。
信頼があり、清潔感に優れ、心豊かな日本人なのに、恥ずかしいバカなことしてたら、日本人はこんなことまでして、金儲けしてるんやと世界中の笑われ者になる。
そして、かわいいクリステルさんが言ってくれた「おもてなし」。
日本が誇る一期一会の心のつながり。時報(ポ、ポ、ポ、ポ、ポ〜ン)のようにも聞こえたけれど、そんな簡単なものじゃない。おもてなしにはマニュアルなどありません。人間だからできる自然体での「感謝の心」の表現です。このことは和食文化とともに富士山同様いつまでも美しく、そして、大切にしたいものです。

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近又の建物

 2001年、近又は『国の登録有形文化財』に登録されました。ご先祖様が大切に残してくれたことに感謝しております。
 その昔、私の幼い頃は近又の周りにはいくつもの立派な町屋が存在しておりました。そんな中では、近又は少しも大きな存在ではありませんでしたが、私にとっては大切な存在でした。 そして、町屋が一つずつ消えていきました。ビルになっていったのです。
 私の父は近又の町屋が好きでした。残すとか残さないとかいう以前の問題で、守ることしか考えていませんでした。今、私は父と同じことを考えています。
 この明治の典型的な京の町屋造りの中で京料理をお作りし、いつまでも変わりなく、今までどおりに安心してお客さまに食事をしていただくこと、これが近又のモットーです。

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食育 ―食を通じてすべてのものに感謝する心―

 最近「食育」という言葉をよく聞くようになりました。私が考える食育とは、日本料理でのおもてなしのために、動植物の命をいただいている、それを感謝して食事をするということです。例えば、車エビやアユを生きたまま調理することがあります。大根や人参も、旬という最もおいしいときに食べます。すなわち、料理のために命をいただいているということです。
 食は気持ちの問題、おいしければいいというものではありません。おいしさの背景に何があるのか。野菜をつくる人、魚をとる人、運ぶ人、売る人、料理する人、さまざまな人の手を経て、はじめて食することができるのです。そういうことに感謝すれば、自然と好き嫌いはなくなり、食べ残しもなくなり、マナーも向上すると思います。
 京都の小学校で食育の講義をすることがあります。子どもたちの目の前で大根を桂剥きにしてけんをつくります。昆布と鰹でとっただしで豆や野菜を煮ます。すると、野菜が嫌いな子でも食べるんです。料理は味覚だけではなく、見る、聞く、臭うなど人間の五感すべてに訴えます。家庭でも、だしをとることから食事をはじめみてください。新しい感動が生まれてきます。

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私の講演から ―食育・・・われわれ大人が子供に伝えることとは―

一人っ子の多い社会 核家族による弊害。 
なかなか家族皆で食事のできない方、たまの休みは家族で外食
この半世紀で時代は変わりました。お年寄り方の話をよく聞き吸収する姿勢を持つこと。また、お年寄りは若者を批判するのではなく、お互いの育ってきた時代をよく理解し、共にいいこと悪いことを話し合い、楽しい生活を送ることが大切です。

こんな計画を立ててみませんか。家族みんなで料理作りです。
ひと月に2度、いや1度、そうでなければ一年に4度、春夏秋冬
家族全員が集まれる日を作り献立を考え、役割分担をし、買い物、だし取り、材料の切り出し、味付け、そして、家族みんなで作った料理が完成する。食卓をみんなで囲み話に花が咲く。
おじいちゃんの昔話、おばあちゃんの子育て苦労話、お父さんの仕事の話、お母さんお小言、そして子供が学校の話をする。
なんでもいい、いろんなことを家族がお互いに目を見て話すことができる習慣を付ける。
これが人間の感情表現の原点です。

家族との強いつながり、人に対する思いやり、優しさ、我慢、今の中学生や、高校生、若者たちの何人かは目を見て話ことが苦手です。
自分の言葉で相手に物事を伝えられないことが、人と人とのお付き合いにおける、もっとも大切な心のつながりの大きな妨げとなっています。
又、言葉以前に人間は表情で心を通わせることもできる動物なのです。

「食育」とは、食卓から食事の楽しさ、食事の大切さを学ぶことにより、心の通った愛情のある家族とのつながり、かけがえのない絆を作ることが食育の真の目的ではないかと思います。

【料理だけでなく衣食住のすべての中で、『味わう』と言うことを忘れないでほしい】
【五感で生きる人間らしい生活を心がけたい】
【相手の目を見て話すことのできる習慣をつけるための食卓でありたい】
【大切なことを伝える時は必ず自分の言葉で相手に伝えるのだという習慣を付けるための食卓とならなければならない。】
【食育におじいちゃん、おばあちゃんの経験はとても必要です。】
【おもてなしについても考えることが大切です。】

現代の子供たちはむかしの子供たちに比べ思いもよらない大きなストレスがたまっていると言われています。

究極の選択が自殺 悲しいことです。
究極の選択は生きることなのです。

 心の強い子に育ててやりましょう。人に好かれる子供に育ててやりましょう。
 自分一人では生きてゆけない。周りの人たちに支えられて(おかげ)生きていることを伝えましょう。
 だからこそ感謝の気持ちを忘れてはいけません。

【おもてなしについて】
一期一会これはまさに究極の出会いです。
たとえまた会うことのできる人あっても、今日と言う日は戻ってこない。だからこそ万事心を配り、もてなし、しつらえを調え、この日、この時を大切に過ごすこと。
たとえ短い出会いであってもその一瞬にこそ心の絆を結びたいという“おもてなしの心”を表現することが大切です。

もてなしは「ものを持ってことを成し遂げる」という意味です。
目に見える「もの」と目に見えない「こと」。
季節感のある花、掛け軸、絵、香(薫り)など具体的に体に感じ目に見える“もの”。
瞬時に消えてしまう言葉、表情、仕草(所作)など目に見えない心を“こと”と言います。

普段の衣食住のなかでそのおもてなしの心を考えてみる。

我々の職業ももてなしの文化です。

体の健康も大切ですが、心の健康はもっと大切です。
現代は物質文化は異常に発達して、精神文化がおいてきぼりにされています。
月や、花を見て「ああ綺麗だなあ」と思う心。
この心を持てない人はおもてなしはできない。

だからこそ純粋な心の持ち主である子供たちのおもてなしはその原点なのです。
この美しい子供の心を大人たちが汚すことなく大切に育てることにより、彼らの成長過程の中で正しい教育の下、教養と知識を身に付け、さらなる成長したおもてなしを身につけることができるのです。

【満足】、【感動】、【余韻】を与えることが『おもてなし』です。
おもてなしは「もの」と「こと」
「おもてなし」の前に「裏」を付けてみてください。 「裏表なし」
つまり、裏・表のない心で誠実に伝えることです。

このおもてなしの日本文化を身に付ける場所。
私の分野でのその場所が『食卓』であると考えます。
食卓から日本人としての品格、マナー、教養、努力、我慢、そして夢が生まれるものと信じています。

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京野菜について

 “京野菜”、この野菜は本当に京都の野菜です。
 いま京野菜は、京都以外の土地でもつくられるようになりました。例えば、東京で売っているみず菜は80%が茨城県産だと聞いています。その味は京都でつくられたものと微妙に違います。やはり、風土が違うと野菜は同じ味にはならないのです。となれば、京野菜は京都でつくらなければならない、それが本ものです。
 昼間はカーッと暑く、夜は寝苦しい蒸し暑さが特徴の夏と、底冷えのする冬。盆地独特の気候であるこの激しい温度差が、野菜たちにはいいようです。
 そして、京都には水瓶があるそうです。北山に降り積もった雪が解け、地下水として地中にたまるのです。鴨川、桂川、宇治川、木津川。京都は美しい川にも囲まれています。京野菜を育てるこの美しい水を、大切にしていかなければなりません。
 恵まれた京都の気候と水で、農家の方に大切に育てていただいた京野菜。この京野菜を私は大切に調理し、また調理させていただいていることを改めて幸せに思います。

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京野菜マイスターに認定

京野菜マイスター認定楯 京都の料理と京野菜は深い関係にあります。素朴な京野菜があってこそ、京都で日本料理を食べていただく意義があります。これまでも料理教室や小学校で料理について伝えてきました。そうした日常の活動が評価され、このほど「京野菜マイスター」に認定していただきました。京野菜マイスターは、調理に20年以上関わっていることなどを条件として選ばれます。生産・流通・料理の各分野から、まだ15名程度しか認定されていません(2008年5月現在)。料理の分野では6名です。今後は、京野菜の魅力とその扱い方、歴史などを広く伝え、京野菜の振興と京野菜に関わる食文化の普及に努力するつもりです。

京野菜マイスターバッチ京野菜検定合格バッチ
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